2013年 01月 25日
3.11と冬のバラ 1月24日 013 |
私は昔から朝は苦手、なのに老人は本当に早起きですから、朝から元気に色々話かけられると本当に参りま〜〜す。
月2回、母を病院へ診察に。
来月からやっとストレーチャーから車椅子になりそうです。
母との病院の待ち合い室で「来てるかもね。」って探す人がいます。
母が骨折で入院した時に相部屋だった、3/11の津波で石巻で被災され
仙台へ移住した60代の女性、Sさんです。
病室はSさんと母の二人部屋でした。
あの日の事を聞くのは失礼かな、と私達は気を遣ったのですが、
Sさんの方から寄ってらして、何となく話出されました。
あの日あの時、Sさんは知り合いの家で何人かと集まって、お茶をしていたそうです。
津波警報が出ても「あら、また?」ぐらいで、どうしようかと思ったのですが、外を見れば道は避難する車の列で大混雑。
お茶菓子に出されたお饅頭の方が気になってーーちょっと食べてから、なんて呑気におしゃべりをしていたら、突如、大量の黒い海水がもの凄いスピードで窓辺を通り過ぎて行ったーーその時、窓は開いてのに海水の勢いが凄くて窓から水が入らなかったそうです!
立ちすくんで、そして慌てている間に、今度は引き水と一緒に大量の瓦礫が家の中に入り込み、一瞬で水と瓦礫に身体が押上げられ天井の桟へしがみつき、天袋の荷物を降ろしてそこへ1人が何とかよじ登り、4人が交代で引っぱり上げて一晩過ごしたとか。
翌朝に水が引き始めて、Sさんはご自分の家は少し高台にあるから、と見渡すと微かに屋根が見えた。屋根があれば二階は無事かもと、皆で瓦礫を伝って移動。
お茶菓子に出されたお饅頭の方が気になってーーちょっと食べてから、なんて呑気におしゃべりをしていたら、突如、大量の黒い海水がもの凄いスピードで窓辺を通り過ぎて行ったーーその時、窓は開いてのに海水の勢いが凄くて窓から水が入らなかったそうです!
立ちすくんで、そして慌てている間に、今度は引き水と一緒に大量の瓦礫が家の中に入り込み、一瞬で水と瓦礫に身体が押上げられ天井の桟へしがみつき、天袋の荷物を降ろしてそこへ1人が何とかよじ登り、4人が交代で引っぱり上げて一晩過ごしたとか。
翌朝に水が引き始めて、Sさんはご自分の家は少し高台にあるから、と見渡すと微かに屋根が見えた。屋根があれば二階は無事かもと、皆で瓦礫を伝って移動。
瓦礫と死体と…それは地獄の道を歩いている様だったとかーー瓦礫の中から泣く声やら悲鳴やらが沢山聞こえたそうです。しかし、ずぶ濡れの凍える4人の中年女性には助ける手立ても体力もなく、素足で、素手で瓦礫をどかし超え渡るのがやっとだったそうです。
Sさんの家は一階は泥だらけの半壊状態、2階も地震でめちゃくちゃでしたが、なんとか無事。巣立った娘と息子の部屋に残された衣類や毛布にくるまり、情報の無いまま泥まみれの冷凍庫に残された食品と、息子さんの部屋に残された、地震で倒れないでいてくれた古い石油ストーブで煮炊きしながら3日を何とか皆で過ごしたとか。
3日目にヘリコプターの音が聞こえる様になり、元気な一人が瓦礫を伝って救助を頼みに出て、避難所へ無事辿り着いたそうです。
それからは、仙台市内に嫁いだ娘さんを頼って市内のアパートへ引っ越す事になり、家に残った荷物を少しでも持って出ようと、独りで仙台と石巻の間を何日も何往復もしながら、必死で背負い歩き運んでーーそしている間に膝の関節に水が溜まり、手の指の筋が切れてしまっていたのに気づかなかったとかーー。人間の指って「筋が切れる」とどうなるか想像できますか? 長さが3倍の、だらりと垂れ下がったままの指の形をした袋状態なのよね。。。
それからは、仙台市内に嫁いだ娘さんを頼って市内のアパートへ引っ越す事になり、家に残った荷物を少しでも持って出ようと、独りで仙台と石巻の間を何日も何往復もしながら、必死で背負い歩き運んでーーそしている間に膝の関節に水が溜まり、手の指の筋が切れてしまっていたのに気づかなかったとかーー。人間の指って「筋が切れる」とどうなるか想像できますか? 長さが3倍の、だらりと垂れ下がったままの指の形をした袋状態なのよね。。。
膝も手も痛いのは仕方ない、そんな事にかまっていられないと歯を食いしばっていたそうで、助かったのに文句を言えないとも思っていたそうですが、最近になってようやく「直るかも…」って事に気づき手術に前向きになったのが、あの日から一年半経過した、昨年の11月。
こんな話を病室の窓辺で少しづつーー「4人でね。」と言っては沈黙。
「瓦礫の間にはたくさん死体がね。」と言っては沈黙。
途切れとぎれにの長い沈黙を交えながら私に話されました。
「あの日の事を誰かに話したのは初めてです。」っておっしゃってました。
私と母が、全くの他人だから話せたのかも知れませんね。
多分、ですがーーあの被災した知人宅には4人ではなく、もっと人が集まっていたのかも知れません。「お茶菓子が気になっていた私は無事だった、先に車で出た人は帰らなかった。」ーーとも。
もしかすると、ご自分の家には他に家族が住んでいらしたのかも知れません。
でも、その事には何も触れられませんでしたー。
母がストレッチャーに乗せられ、私は両手に大荷物を抱えた退院の日、
病室のドア迄見送りに出てらしたSさんに、
母が「ありがとう、また何処かで会いましょう。さようなら。」と手を振った途端、
突然「ウォーーッ!ウォーーッ!!」と叫び、その場に泣き崩れてしまいました。
こんな話を病室の窓辺で少しづつーー「4人でね。」と言っては沈黙。
「瓦礫の間にはたくさん死体がね。」と言っては沈黙。
途切れとぎれにの長い沈黙を交えながら私に話されました。
「あの日の事を誰かに話したのは初めてです。」っておっしゃってました。
私と母が、全くの他人だから話せたのかも知れませんね。
多分、ですがーーあの被災した知人宅には4人ではなく、もっと人が集まっていたのかも知れません。「お茶菓子が気になっていた私は無事だった、先に車で出た人は帰らなかった。」ーーとも。
もしかすると、ご自分の家には他に家族が住んでいらしたのかも知れません。
でも、その事には何も触れられませんでしたー。
母がストレッチャーに乗せられ、私は両手に大荷物を抱えた退院の日、
病室のドア迄見送りに出てらしたSさんに、
母が「ありがとう、また何処かで会いましょう。さようなら。」と手を振った途端、
突然「ウォーーッ!ウォーーッ!!」と叫び、その場に泣き崩れてしまいました。
そしてご自分のカーテンの内へ駆け込み、そのまま泣き続けてーー。
それは泣き声、と言うよりも天に向かって叫ぶーー怒る様な、吐き出す様な、哭き叫ぶ声。
それは泣き声、と言うよりも天に向かって叫ぶーー怒る様な、吐き出す様な、哭き叫ぶ声。
私の人生で、初めて聞いた怒涛の様な「人」の哭き声でした。
何事かと駆けつけた看護士さん、医師と私は、目で「そっとしてましょう。」と話し、
その場を去りました。
ずーッと、ずーッと泣けなかったんだろうな、きっと初めて声にして泣かれたのかもしれません。白いストレッチャーで運ばれて行く白髪の母の姿が、Sさんの記憶にある誰かと重なったのかも知れません。
報道では仮設住宅ばかりがクローズアップされますが、
仙台市内にはSさんの様に被災され、自力で生きている方が数万人規模で居るのです。
東北の人は悲しいくらい、本当に我慢の人達なんだと思う。
帰りの介護カーの中で、「あに人はもう誰とも『別れ』なんかしたくなかったんだよ。きっと沢山の人と別れたてきたんだろう。。」と母が声を詰まらせていました。
「あんまり辛くて、泣く事も忘れていたんだろうね。そうなら、お母さん良い事したね… Sさんの心が少しだけ楽になったら良いけどね。」
そんな事を話しながら帰宅したのですが、
母の「人の気持ちに立ち入るもんじゃない。」と言う言葉もあって、
Sさんの住所とか連絡先も伺わずに帰りました。
母の検診で病院を訪れる度に、もう一度お会いしたくてーーSさんを探しています。
画像;冬バラの莟が暮れから咲こうとして頑張ってました。今日部屋の花瓶に。
昨晩のご飯;助惣鱈の煮付け、雪菜のお浸し、ひじき煮、粕汁
何事かと駆けつけた看護士さん、医師と私は、目で「そっとしてましょう。」と話し、
その場を去りました。
ずーッと、ずーッと泣けなかったんだろうな、きっと初めて声にして泣かれたのかもしれません。白いストレッチャーで運ばれて行く白髪の母の姿が、Sさんの記憶にある誰かと重なったのかも知れません。
報道では仮設住宅ばかりがクローズアップされますが、
仙台市内にはSさんの様に被災され、自力で生きている方が数万人規模で居るのです。
東北の人は悲しいくらい、本当に我慢の人達なんだと思う。
帰りの介護カーの中で、「あに人はもう誰とも『別れ』なんかしたくなかったんだよ。きっと沢山の人と別れたてきたんだろう。。」と母が声を詰まらせていました。
「あんまり辛くて、泣く事も忘れていたんだろうね。そうなら、お母さん良い事したね… Sさんの心が少しだけ楽になったら良いけどね。」
そんな事を話しながら帰宅したのですが、
母の「人の気持ちに立ち入るもんじゃない。」と言う言葉もあって、
Sさんの住所とか連絡先も伺わずに帰りました。
母の検診で病院を訪れる度に、もう一度お会いしたくてーーSさんを探しています。
画像;冬バラの莟が暮れから咲こうとして頑張ってました。今日部屋の花瓶に。
昨晩のご飯;助惣鱈の煮付け、雪菜のお浸し、ひじき煮、粕汁
by ppjunction
| 2013-01-25 12:31
| 仙台あれこれ
|
Comments(0)