2008年 05月 01日
バテンレース |
母の茶箱の下からくちゃくちゃ状態で眠っていたバテンレースの
「間仕切りカーテン」と「テーブルクロス」を先日クリーニングに出したのですが、真っ白になって帰って来ました。
子供の頃、毎年夏になるとこの「間仕切りカーテン」が玄関の廊下や、
客間の仕切り口に掛かっていたものです。
かつて新潟の上越の産業の一つがバテンレースだったそうです。
私の家族は新潟の上越出身なので、当たり前の様にレースと言えばバテンレース。
ドイツのバテンブルグで生まれ、貴族の衿や袖口の飾り等に使われていた手工芸品。
明治時代に横浜でバテンレースを見かけた上越市(高田市)の代議士が、
雪国で冬は何もできない土地の家内手工業としてこの産業を興し、明治ー大正ー昭和を通じてアメリカ、ヨーロッパへ輸出した地場産業だったそうです。
でも現在は採算がとれずに生産も職人も減る中、人件費の安い中国から逆輸入されるようになり数10軒あった会社も今は1軒のみに衰退してるとか。
そういえば子供の頃、近所にレースに使う「糸工場」がありましたがー。
調べてみましたら、最近、風前の灯火だった技術を残そうと
上越市の年輩の女性達が各種講習会等を開いて頑張っているようです。
綿テープと糸だけですから、手芸が好きな方ならそんなに難しくないそうです。
ネット内でキットの販売もあるようですよ。
興味を持って頂けたら嬉しい。
綿ブロードですから何度洗濯しても丈夫で、画像の物も既に50年前の物で、
糸も所々切れてはいますが、とてもそんなに古い物には見えませんね。
最近私は、和装で水仕事をする場に供えて、
胸元にレースがある真っ白な「割烹着」を買いましたが
とても気に入っています!、他人にも「素敵!」と誉められますよ。
子供の頃、毎年夏になるとこの「間仕切りカーテン」が玄関の廊下や、
客間の仕切り口に掛かっていたものです。
私の家族は新潟の上越出身なので、当たり前の様にレースと言えばバテンレース。
ドイツのバテンブルグで生まれ、貴族の衿や袖口の飾り等に使われていた手工芸品。
明治時代に横浜でバテンレースを見かけた上越市(高田市)の代議士が、
雪国で冬は何もできない土地の家内手工業としてこの産業を興し、明治ー大正ー昭和を通じてアメリカ、ヨーロッパへ輸出した地場産業だったそうです。
でも現在は採算がとれずに生産も職人も減る中、人件費の安い中国から逆輸入されるようになり数10軒あった会社も今は1軒のみに衰退してるとか。
そういえば子供の頃、近所にレースに使う「糸工場」がありましたがー。
調べてみましたら、最近、風前の灯火だった技術を残そうと
上越市の年輩の女性達が各種講習会等を開いて頑張っているようです。
綿テープと糸だけですから、手芸が好きな方ならそんなに難しくないそうです。
ネット内でキットの販売もあるようですよ。
興味を持って頂けたら嬉しい。
綿ブロードですから何度洗濯しても丈夫で、画像の物も既に50年前の物で、
糸も所々切れてはいますが、とてもそんなに古い物には見えませんね。
最近私は、和装で水仕事をする場に供えて、
胸元にレースがある真っ白な「割烹着」を買いましたが
とても気に入っています!、他人にも「素敵!」と誉められますよ。
by ppjunction
| 2008-05-01 14:18
| 今日はいかが?
|
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