2011年 03月 18日
大地震、あれから7日 3/18/2011 |
とんでもない悪夢の一週間でした。
私も私の家族もお陰さまで無事におります。
お客樣にもご心配戴き、しばらく通じなかった携帯にも何件も固まって留守電が届きました。
ありがとうございます。本当に嬉しかったです。
始まりは母と前から気になっていた玄関と廊下を、例のケルヒャ−でクリーニングをしていまして、
一段落のお茶をしていた時間でしたかーー小腹が空いたね、なんて話していた最中に
グラッと来て、もー、この世の終りかと思いました。
母がキャーキャー喚くので無理矢理座らせ、私の座布団を母の頭にのせてーー
玄関の出口だけ確保しに走ったのですが、戸を開けた途端、何かが割れる音、倒れる音が続き、
身体が左右に大きく振られる様に揺れて、私は柱にしがみついていました。
でも、その時も揺すぶられながらも、仙台方面には何時か大地震が来る、と
耳にタコができていましたから、これは仙台市内だけの事だろうと、
そして、これで耳ダコの厄落としが終ったのだろうとーー思っていました。
余震が激しくて外へ避難しましたけど、廻りを見回したところ倒壊した家も無く、
家の内は部屋中足の踏み場もなく、振り出された物や壊れた陶器類が散乱していましたけど、
正直この程度で終ったと、ちょっとホッとしていました、その時は。
ライフラインが全く断たれ、暖かい物が飲みたくて、
倒れた仏壇から飛び出した何箱のローソクでお湯を湧かしたり、
母が(私と何時も喧嘩の元だった)大量に買い置いた缶詰で食事をしたり、
飲料水は備蓄があったのですが、生活用水を確保するのが日課で、正直疲れました。
けど、そんな事よりも三日目になって電気が開通してラジオでは実感できなかった
実風景が画面より飛び込んで来て、言葉もありませんーー本当にほんとうにショックでした。
被災地が同じ太白区なので、お客樣にまでご心配戴いたのですが、
仙台の区分は結構広範囲で、私の所は海辺からかなり離れた所にありますから、
津波状況は全く知らずにおりました。
「荒浜」は海水浴に市民が行く風光明媚な地域だったそうです。
今日は店を開けた八百屋さんで並んでいましたら、
後ろの女性は被災地方面から買い出しに来ていて、
祖父母は家ごと跡形もなく流されてしまったそうです。
そんな方が彼方此方に居ますね。
平日のあの時間ですから、家に居る人はお年寄りが多かったのかもね。
今は未だ何も手つかずの状態です。
でも電気があるのは本当に有難い。
電気釜は賢い!カレーも、肉じゃがも作れました。
昨日より飲食店以外の個人商店は店を開けました。
野菜もお肉もナントカ買えます。
行列に並ぶのは他にする事もないので気になりません。ちょっとした社交場ですね。
市の中心はバスも電車も開通しました。
ご心配戴く様な不自由はしていません。ちょっと昔に還った様な気分です。
お風呂には当分入れない(ガスは一月後だそうで)ので汚いかもね。
今日は湯沸かしでお湯を沸かし、髪を洗い、身体を拭きました。
いつも喧嘩していた母の買い溜め好きのお陰で、紙類もお米も充分にあります。
もー、これで母を怒れないかも知れません。
ですから私達は大丈夫です。
もし、何か援助を考えてられる方がいらしたら、被災された方々を助けてあげて下さい。
●総合災害情報
-SAVE JAPAN! エリア別救済支援情報サイト
http://savejapan.simone-inc.com/
今街中が必死で生きてる感じ。
でも日本中これから精神的なダメージが出そう。
身体の震えが止らない人とか、鬱っぽくなっちゃった人とかーー。
そして原発。地震や津波は天災だけど、原子力は人災だよね。
これが解決しないかぎり国民は落ち着かないでしょうー。
ちょっと良い話。
私の作品展に「3センチの靴」を出展して下さった、斉藤舞さんが男の子を出産されました。
しかもあの大地震後12日の午前3時に産気づいてしまって、
余震が続く内、御主人と大変な思いで病院へ駆け付けたそうです。
そして無事男の子を出産をされました。よかった、本当によかった。
晩ご飯:マ−ボー野菜、山芋の叩き、漬け物各種、雲呑
私も私の家族もお陰さまで無事におります。
お客樣にもご心配戴き、しばらく通じなかった携帯にも何件も固まって留守電が届きました。
ありがとうございます。本当に嬉しかったです。
始まりは母と前から気になっていた玄関と廊下を、例のケルヒャ−でクリーニングをしていまして、
一段落のお茶をしていた時間でしたかーー小腹が空いたね、なんて話していた最中に
グラッと来て、もー、この世の終りかと思いました。
母がキャーキャー喚くので無理矢理座らせ、私の座布団を母の頭にのせてーー
玄関の出口だけ確保しに走ったのですが、戸を開けた途端、何かが割れる音、倒れる音が続き、
身体が左右に大きく振られる様に揺れて、私は柱にしがみついていました。
でも、その時も揺すぶられながらも、仙台方面には何時か大地震が来る、と
耳にタコができていましたから、これは仙台市内だけの事だろうと、
そして、これで耳ダコの厄落としが終ったのだろうとーー思っていました。
余震が激しくて外へ避難しましたけど、廻りを見回したところ倒壊した家も無く、
家の内は部屋中足の踏み場もなく、振り出された物や壊れた陶器類が散乱していましたけど、
正直この程度で終ったと、ちょっとホッとしていました、その時は。
ライフラインが全く断たれ、暖かい物が飲みたくて、
倒れた仏壇から飛び出した何箱のローソクでお湯を湧かしたり、
母が(私と何時も喧嘩の元だった)大量に買い置いた缶詰で食事をしたり、
飲料水は備蓄があったのですが、生活用水を確保するのが日課で、正直疲れました。
けど、そんな事よりも三日目になって電気が開通してラジオでは実感できなかった
実風景が画面より飛び込んで来て、言葉もありませんーー本当にほんとうにショックでした。
被災地が同じ太白区なので、お客樣にまでご心配戴いたのですが、
仙台の区分は結構広範囲で、私の所は海辺からかなり離れた所にありますから、
津波状況は全く知らずにおりました。
「荒浜」は海水浴に市民が行く風光明媚な地域だったそうです。
今日は店を開けた八百屋さんで並んでいましたら、
後ろの女性は被災地方面から買い出しに来ていて、
祖父母は家ごと跡形もなく流されてしまったそうです。
そんな方が彼方此方に居ますね。
平日のあの時間ですから、家に居る人はお年寄りが多かったのかもね。
今は未だ何も手つかずの状態です。
でも電気があるのは本当に有難い。
電気釜は賢い!カレーも、肉じゃがも作れました。
昨日より飲食店以外の個人商店は店を開けました。
野菜もお肉もナントカ買えます。
行列に並ぶのは他にする事もないので気になりません。ちょっとした社交場ですね。
市の中心はバスも電車も開通しました。
ご心配戴く様な不自由はしていません。ちょっと昔に還った様な気分です。
お風呂には当分入れない(ガスは一月後だそうで)ので汚いかもね。
今日は湯沸かしでお湯を沸かし、髪を洗い、身体を拭きました。
いつも喧嘩していた母の買い溜め好きのお陰で、紙類もお米も充分にあります。
もー、これで母を怒れないかも知れません。
ですから私達は大丈夫です。
もし、何か援助を考えてられる方がいらしたら、被災された方々を助けてあげて下さい。
●総合災害情報
-SAVE JAPAN! エリア別救済支援情報サイト
http://savejapan.simone-inc.com/
今街中が必死で生きてる感じ。
でも日本中これから精神的なダメージが出そう。
身体の震えが止らない人とか、鬱っぽくなっちゃった人とかーー。
そして原発。地震や津波は天災だけど、原子力は人災だよね。
これが解決しないかぎり国民は落ち着かないでしょうー。
ちょっと良い話。
私の作品展に「3センチの靴」を出展して下さった、斉藤舞さんが男の子を出産されました。
しかもあの大地震後12日の午前3時に産気づいてしまって、
余震が続く内、御主人と大変な思いで病院へ駆け付けたそうです。
そして無事男の子を出産をされました。よかった、本当によかった。
晩ご飯:マ−ボー野菜、山芋の叩き、漬け物各種、雲呑
by ppjunction
| 2011-03-18 23:55
| 仙台あれこれ
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