2011年 04月 21日
津波大地震/ありがとう、そして「ARIGATO」 4/21/2011 |
昨日は仙台市の隣にある亘理市の海岸で被災された方が居る小学校と中学校へ、
ポーチを持って廻りました。
昼は人が少なくて両方の避難所で12、3人位の女の子にしか会えませんでしたが、
ポーチを差し出すと一様にキョトンとして「いいんですか?」って聞くのよね。
「中にナプキンとハンカチが入ってるの」って言うとまた一様に
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話は変って、新聞の片隅に載ったニュースですが、ちょっと好い話なので。
仙台空港を物資輸送の拠点にしようと、米国空軍の特殊部隊が
「中にナプキンとハンカチが入ってるの」って言うとまた一様に
「え!嬉しい、ありがとう!」ってこれも皆同じポーズで胸に抱いてくれるの。
そしてラベルに「ハンカチは○○市のxxさんからです。」って書いてありますから、
そしてラベルに「ハンカチは○○市のxxさんからです。」って書いてありますから、
それも読んでまた「へ〜、○○市なんだ!」って言うのよね。
持って行ったのに、残ったポーチ約10個はどうしよう、と思ったのですが、
持って行ったのに、残ったポーチ約10個はどうしよう、と思ったのですが、
看護婦さんのボランティアさんが居たので、その方にこの件をお願いしたところ、
「他の避難所も廻るので、喜んで配ります。」って事でした。
これでポーチプロジェクトの任務は終了させて戴きます。
これで約60数個は配り終えた事になります。
これで約60数個は配り終えた事になります。
でもほんのわずかで、、大海の一滴ですがー。
協力くださった皆様、本当にありがとうございました。
協力くださった皆様、本当にありがとうございました。
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話は変って、新聞の片隅に載ったニュースですが、ちょっと好い話なので。
仙台空港を物資輸送の拠点にしようと、米国空軍の特殊部隊が
パラシュートで瓦礫の山へ降り立った事を以前お知らせしました。
その後も仙台空港内の瓦礫を片付け、輸送機で救援物資1140トン、
その後も仙台空港内の瓦礫を片付け、輸送機で救援物資1140トン、
燃料5万7000リットルを運び、一帯の復旧作業にも
部隊270人が従事したそうです。
そして空港任務を日本に引き継ぎ、3日に仙台空港より沖縄基地へ引き揚げました。
そして空港任務を日本に引き継ぎ、3日に仙台空港より沖縄基地へ引き揚げました。
その離陸する飛行機の窓から、砂浜に瓦礫や津波で折れた木で作った
「ARIGATO」の文字を見つけ、大変感動した事を軍の大佐が
ワシントンへ語ったそうです。
この文字は、地元の被災された自治体有志が、米軍へ感謝を込めて作られたそう。
現地に居ると、米軍の活躍があまりにもニュースにされないので、
この文字は、地元の被災された自治体有志が、米軍へ感謝を込めて作られたそう。
現地に居ると、米軍の活躍があまりにもニュースにされないので、
私は???と思っています。
民社党は米軍も自衛隊も認めたくないからね、
民社党は米軍も自衛隊も認めたくないからね、
何か報道規制されてるって感じがするのよ。
昔の知り合いが、数年振りに突然電話で「自衛隊は何もしてないんでしょ?」
昔の知り合いが、数年振りに突然電話で「自衛隊は何もしてないんでしょ?」
「仙台ってゴミの山なんでしょ?早く片付けたらいいのにね〜。米軍は何してんの?
東京もさー、大変なのよ〜。」なんてムッとする様な事を平気で言う人なんだけど、
私はちょうどポーチを配った避難所を出て、歩いている時で
「そんなことありません!宮城県の被災地ってのは、あなたが住んでる
東京都の墨田区全域以上の規模なんですよ!」
話すうちに腹が立つよりも情けなくって、悲しくなってしまった。
こんなに現地は大変なのに、こんなに皆ガンバッテるのに、、、。
晩ご飯;鰺の干物、肉じゃが、菜の花のお浸し、豆腐汁
晩ご飯;鰺の干物、肉じゃが、菜の花のお浸し、豆腐汁
by ppjunction
| 2011-04-21 23:42
| 仙台あれこれ
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