2017年 06月 23日
募金箱 |
私は通行税のつもりで1町毎に出会うボランテイアの募金箱にコインをチャラっと入れるのが習慣で、何もできない私にはわずかな募金がお布施か免罪符の代わりです。
少々以前の事ですが、やはり同じ交差点で立ち止まるとそこは何かのイベントやらお祭りやらの開催に向けて寄付お願いの嵐で、立ち止まった人達も少々ウンザリ気味。
その群集の隅っこに、小さなお婆さんが小さい箱に写真と手作りのビラを貼ってポツネンと立っているのに気になり人をかき分けて側へ寄って見ましたら、「子供の心臓手術‥」と書いてあったので思わず「あなたのお身内?」と聞いたところ「孫なんです。」「孫がアメリカで手術を受ける事になりました。」「エ〜〜!あなたのお孫さんなの!」「大金が必要と言うことでーー少しでも私にもできる事をしようと思って‥恥を忍んでお願いしてます‥」
そんなこんなを信号待ちの短い時間に話して「些少ですがー」と私は小銭入れに入っていた銀貨だけを拾い上げて箱に入れた途端、私の肩越しから手に手にお札やコインを握った大勢の手が伸びて来たんです。私の声は「大きい!大きすぎる!」と母からも言われますので、きっと周りの人にも私達の会話が聞こえたんでしょうね。信号が青になり歩道を渡りながら振り返ると、未だ幾人もの人達がお婆さんの側に立っていました。
70代かなあ〜、普通のお婆さんが群集に寄付をお願いしようと独りで街に立つ勇気って、私は「偉い!」と思うのよ。多分、他の人々もお孫さんの手術って事もあるけど、私と同じ気持ちだったんだろうなあーーお婆さんの志を応援したいっていうか。。。
後日、私も習慣でコインを入れたけどーー千円札位は入れてあげられたのに・・ってちょっと恥入りながらも、他人への人情ってまだまだ捨てたもんじゃないって思いました。
数ヶ月後、TVのニュースでこのお孫さんが、手術を受ける前にアメリカで亡くなられた事が報道されましたがーーお婆さん、どうしただろう。。。
今日も車椅子の肢体不自由な方の施設への募金箱に¥500コインを「頑張ろうね」の言葉と共に入れました。箱に入れた途端「ボッコッ」っとボール紙の箱の底に当たる音が返ってきて、あー、箱には何も入っていないのか、って寂しくなった。不自由な体を歪めながら「ありがとうございます」と応える男性の声にも何か後ろめたい気分でした。
まあ〜、各種スポーツやイベントへの募金なんて「立って声張り上げている体力と時間があるなら、お前達がバイトして稼いだらどうよ!!」って言いたいけどね。
画像:家の狛犬さんーー私には猫(ドラえもんの元祖?)に見えるけど。
愛嬌のある顔で癒される。
by ppjunction
| 2017-06-23 16:05
| 仙台あれこれ
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