2018年 02月 02日
DNA |
数年前に起きた男性の事件(事故?)がずーっと心に引っかかっています。
60数年経ってから実の親が分かったって事件。覚えてられるかたも多いでしょう。
A宅に4人の男の子が生まれ60年経過。
母親が死亡し、父親の老後をどうするかの問題が発生。
自営だった父親の仕事を引き継いだ長男が、父の面倒見る事で不動産を相続したにも関わらず、父親の介護を放棄してしまった。つまり財産のほとんどを相続した上で、兄弟間の約束を反故にした。
此処までは世間によくある話、と言えばそうなのですがー。
A家弟達3人は母親がかねがね長男出産の時に、入院先へ持参した産着とは違う産着ーー貧相な産着に包まれて赤ちゃんが戻った事などを思い出しては「あの子(長男)は私の子だろうか?」等と度々話ていた事をA宅の3弟達が思い出しーー昔は冗談と受け止めていた母の口癖を、他の兄弟にも似てないし、家族に冷たい、今更ながら思い当たる事もあったのでしょう、3弟と長男のDNA鑑定を依頼した。
それには長男も同意したそうですがー。
結果、長男は全くの他人と判明。
そして裁判、3弟達は本当の兄を捜しはじめーー何と!実の兄を発見!
60代近くになった実の兄と、それこそ涙の再会。と言う小説を地でいく事件なんですけれどー。
動物的な直感て言うのもあるでしょうけど、私が不思議なのはA宅の母親が生活を共にして居た長男に対して産着のこと以外に「私の子だろうか?」と感じた、疑問に思った、その感情は息子の何からだったんだろう?って事。
外見が似てない、性格が似て無い兄弟なんて世の中結構居るモンじゃん、と思うのよ。
親戚や周りが「似てない」って言おうと、親って、母親って、その子を周りから庇うと思う。
その子が家族に対して情があり、親も可愛いと思えれば尚更でしょう。
多少他の兄弟と気質が似てなくても、「曾祖父さんに似たのよ。」とか「親戚のxxに似てるの。」とか言い張って、産着云々も「私の感違いだ」と記憶を訂正しようとする、と私は思ったりするのですがー。
一方、このA宅の実子は、育てられた親や他の兄弟とはまるで似てないにも関わらず、すんなりとB宅の息子として迎えられた。B家母親も産院で自分で用意した産着とは違った「新品の産着」で手元に帰った赤ん坊がを見て、変だと思ったでしょう。看護婦さんが産着を間違った位の気持ちだったかしらね。でもそれはいつの間にか母親の記憶から消えてしまっていた。
その理由はーー私の想像ですが「可愛い我が子」と無条件で受け入れらるだけの、A家両親が子に渡したDNA、想像ですがーー素直で愛くるしい等がそうさせたのだと思う。
外見だけでなく両親から、血族から素質とか気質も脈々と遺伝するわけですから、それは本人の意思とは関係なく人間の表面に出てしまう。問題のA家の長男(実はB家4男)には子供の頃から思いやりとか、優しさとかの情が薄くて、育った家族とは相容れなかったーーでも私は情緒的な部分は多分に育った環境で形成される物だと私は思っていたのですがー。優しさ、思考力、忍耐力、コミュニケーション力 どれも人のDNAの中に潜んで居るらしい、それをどう磨くかはその人の生き方なんだそうですから。
「氏より育ちーー血筋よりも育ちが大事。」と祖母がよく言うのを聞いて私は育ちました。
両親から受け継いだ長所と短所合せ持つDNAですが、人は育った環境でバランス取りながら長所を伸ばして行くものだ、と思ってました。
ですから、A家で間違えられて育った長男(実はB家4男)が、たとえ違うDNAとはいえ母親、兄弟に嫌われる程の貧しい気質・素質のDNAだったのかーー恵まれた環境であっても、短所を抑え、長所を磨く努力をしなかった?のか? 育ての両親ともに健全な、恵まれた家庭環境だったのに残念なことよ、と思ってしまう。
とは言うものの、強欲で家族に愛情をかけなかったとは言え、この男性にとってもこの事実は大変なショックだろうし、犠牲者には変わりない。
私はDNAって、人間形成に締める役割にそこまで大きいとは今まで考えた事がなかったなあ〜。
施設から子供を引き取って実子として暮らして居る知人家族がいます。
この家族は暮らして居る間に外見的にとてもよく似た家族になってーーそれも不思議なのですがー。
他にもアメリカで代理出産を依頼した知人も居るし、精子バンクで2人出産した人もいます。
家族って血の繋がりだけでは無いようにも思えますがー。
家族って、家族になるってのも本当に大変な事ですね〜。
DNAって身体的な特徴や気質だけじゃなく、歩き方やちょっとした癖なんかも遺伝するみたいですね。知人に子供の頃に離ればなれで暮らした弟が居て、全く偶然私が出会った時、ひと目で分かりました。照れたりする時の手の癖や、歩き方ーー妙な癖がそっくり!その事を本人に告げても当事者には自分の癖までは客観視できて無いのよね。
この血縁関係は無い、と宣言されたB家男子の実家は貧しく、間違って育てられたA家の長男は高校進学さえできなかったそうです。働きながら自力で夜学高校を出て町工場に勤め、貧しいけど自分を可愛がってくれた育ての親や兄弟に感謝し、還暦近い今は寝たきりになった血の繋がらない兄を看ながら、トラックの運転手をしてるとか。
貧しい家庭だった、でも幸せな家族の中で育ったーー他人の私ですが、その言葉にホッとします。
「この子は私の子だろうか。」と言った、実の母親が息子に欲したのは、そういう愛情だったんだろうなあ〜。トラブルの元になった、実のB家男性のDNAにわずかでも家族への情や優しさがあったなら、その短所に気づいていたなら、似てないね、と笑いながらも4兄弟は何事もなかったんでしょうか〜。
この事件発覚の発端は、介護だった事に人の不思議さを思います。
何だか釈然としないままの文になってしまいましたが、読んでくださってありがとう。
しかし、こんな取り違え事件は過去に全国でかなり起きているいるらしいですが、家族が気づかないだけで、あの時代、ベビーブーム時代ならもっとあるんじゃない?って思うと遣る瀬無い。
画像;かなり古い1970年後半のイタリア製ファブリックです。
ポップな色合いで、織も複雑な模様。何かに、とは思うもののーーすご〜く厚地なんですよ。
晩御飯:白菜と豚肉の鍋、筑前煮、漬物
by ppjunction
| 2018-02-02 22:39
| 今日はいかが?
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