2018年 09月 12日
能:松虫 |
能「松虫」とありますが「鈴虫」の事です。
古くは鈴虫を松虫と呼んでいたようです。
私の祖母もリンリンと鳴く「鈴虫」を「松虫」と呼んでいて、ややこしかったのを覚えています。戦前迄「鈴虫」「松虫」は名称がはっきりしなかったみたいなのでは?
画像の様な草露に覆われた野原に見とれている内に、能の「松虫」が重なりました。
能なんて、と仰るかもしれませんが、よろしければこの際、お付き合い下さい。
若者二人の友情を描いた作品ですが、友情以上の切なさが募る作品。
作者は不明となっており、室町時代の作だろうとされています。
以下;「松虫」筋書き
秋の朝、摂津国の安倍野原の酒売りは、毎日のようにある男が連れ立ってやって来るので気になっている。もしも今日も来たら素性を尋ねようかと考えている。
そこへ例の男が連れ立って訪れ酒を頼む。酒売りは大いにもてなすが、その男性が「松虫の音にもや友を偲ぶらん」と言ったのでその意味を尋ねます。
男が語るには、以前この阿倍野を若者2人が通った時、
をりふし松虫の声面白くきこしかば
一人の友 彼の虫の音を慕へ行きしに
今一人の友人 やや久しく待てども帰らざりし程に
心もとなく思ひ尋ね行き見れば
かのもの草露に臥して空しくなる
意訳※松虫(鈴虫)が盛んに鳴いている阿倍野を二人連れの若者が通りすがり、一人の若者が虫の音にうっとりとして、もっと聞きたいからと草むらへ入って行った。しかし待てど暮らせどその若者は帰ってこない。待っていた方の若者が心配で友を探すと、友は草露に埋れ亡くなっていた。
残された若者とは実はその酒屋に訪れた男性で、この原に埋葬した親友を偲び訪ねて来たと告げる。「死ぬ時はいっしょに」と誓い、何をするのも一緒の仲であったのにと嘆き悲しむ。
話ながら男の姿がだんだんとこの世の人ではなくなってゆく。
男は、実は友を失い悲しみのあまりに命を絶ってしまった男の幽霊であると告げる。
死んでも尚、親友のことが、楽しかった現世が、忘れられない。
そして「松虫も鳴くものを我をや待つ声ならん」ーーと古い歌を引用し消えてゆく。
びっくりした酒売りは店の常連さんにそのでき事を話すと
「昔々、そんな事があったなあ〜。
残された若者はその後嘆き悲しみ入水して命を絶ってしまった。
哀れに思った人々は亡骸を先の若者と一緒にこの安倍野原に埋葬した。
後を追った方の若者は未だ成仏できないでいるのだろうから(自殺故に)、あなた(酒売り)が弔ってあげたらどうだ。」
と言われ、夜になり酒売りがお念仏をあげていると
先の若者が当時の姿で霊となり現れ、弔われた感謝と喜びを酒売りに述べる。
そして、現世で彼の親友と二人、どれほど楽しい時を過ごしたかを語り、舞う。
そして 別れの時
面白や 千草にすだく 虫の音の
機織る音 きりはたちやう
つづり刺せてふ蛬蜩
蜩いろいろの色音のなかに
わきて我がしのぶ松虫の声
りんりんりんりんとして
夜の声冥々たり
すはや難波の鐘の明け方の
あさまになりぬべし さらばよ友人名残の袖を
招く尾花のほのかに見えし 跡絶えて
草茫々たるあしたの原に 草茫々たるあしたの原に
虫の音ばかりや 残るらん 虫の音ばかりや 残るらん
意訳※ 草が生い茂る野原に虫の音色が面白いことよ。
機を織る音のキリギリス(機織の音に似たギー・チョンと鳴くとされるが、この当時の機織りは「きりはたちょう」と聞こえたのか?)
つづり刺せ(?)と鳴くコオロギ、そして蜩の声
虫の音色の色々に、一段と湧き上がる私が偲ぶ松虫(鈴虫)の声
りんりんりんりんと夜の声は何処から湧き来るのか暗くてわからない
そうこうしている内に夜明けを告げる難波の鐘
夜が明けるので名残惜しいが別れの時
さようなら友人(ともびと)と
袖を振った様に見えたのにーーススキノ穂がほのかに白くあるだけである
誰も居ない
草茫々と茂る夜明けの原に ただ虫の音だけが残る
以上勝手な意訳ですがー。
「さらばよ友人(ともびと)」と謡われる箇所で私は鼻の奥がジーンとなる。
「さらば」とは誰に言ったのか? 酒売りに感謝を込め、我が友として言ったとする説もあれば、先に成仏してしまった友人に言ったのかは、はっきりしない。でも能はその「はっきりさせない」ところが良いのだ、と言う人もいる。
舞台が終わった後、本当に茫々とした野原が目に浮ぶーー不思議さ。
友情ではなく、後追い自殺なんて男同士の愛情ではないかとツッコミを入れたくなるストーリでもあるのですが、その点はどうでも良いような気がする。中国の詩や和歌の引用を楽しみ、意気投合できる若者同士の慕いあう心の「うぶ」さが美しい。
私たち素人が仕舞で習う場合、ほとんどが最後(キリ)の別れの場面ですが、全体を通してこの能を鑑賞した後、ここの場面だけに気持ちを持って行くのは、かなりの心の張りが必要かなとーーナカナカであります。
どの曲もそうですが、稽古を重ねて思うのは、型を習い、足拍子をとり、謡を学びながらも最終的にはーー能ってやっぱり男の世界だよなあ〜、ってことーー淋しい。
秋にふさわしく、謡も面白い演目ではあるけれど、残念ながらあまり上演されない。
もし、お近くの能楽堂で上演のチャンスがあれば是非ご鑑賞下さい。
余談ですが、今も「松虫」と言う地名が大阪安倍野に残っているそうですよ。
晩御飯;生姜焼き、茹でアスパラ、マカロニのトマトソース和え、漬物、ジャガイモの味噌汁
by ppjunction
| 2018-09-12 22:10
| 今日はいかが?
|
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Comments(2)
ほー へぇーと無知の私は
ただただなるほど~ ふ~んばかり(笑)
能 なかなかご縁も無く知らない事ばかりですが
勉強になりました♪
能に親しむポッチ様 素敵な趣味ですね
ただただなるほど~ ふ~んばかり(笑)
能 なかなかご縁も無く知らない事ばかりですが
勉強になりました♪
能に親しむポッチ様 素敵な趣味ですね
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秋にあると、東京ではあちこちにある能楽堂で何かしらを公演してますよ。私は友達に最初はさ昼寝に良いから、と誘ったりしました。
上手な謡は気持ち良いし睡魔に襲われるけど、下手だと寝れん!
9月29日は国立能楽堂(千駄ヶ谷)で「金輪」があるけど、ナカナカ観れない出し物だからーーほら、嫉妬のあまり藁人形に釘を打つーーオススメよ。あは!寝てる場合じゃないかもね ^ - ^。
上手な謡は気持ち良いし睡魔に襲われるけど、下手だと寝れん!
9月29日は国立能楽堂(千駄ヶ谷)で「金輪」があるけど、ナカナカ観れない出し物だからーーほら、嫉妬のあまり藁人形に釘を打つーーオススメよ。あは!寝てる場合じゃないかもね ^ - ^。